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地域が求める医療を提供する ~市長、病院長、看護部長インタビュー~

紫雲出山から瀬戸内海を臨む(写真:三豊市観光交流局)
紫雲出山から瀬戸内海を臨む(写真:三豊市観光交流局)

 超高齢社会に伴う疾病構造の変化により、自治体病院の在り方が変わろうとしている。急性期から慢性期中心への医療制度変更に伴い、「病院中心の医療」から「地域全体で患者を支える医療」へ大転換を始めたのだ。

 

一方でこうした政策は、多くの中・小規模自治体病院の経営を直撃した。慢性的な医師不足で採算が取れる分野での収益が落ちていた上、入院患者の減少と一人あたりの入院日数の短縮により病床稼動率が低下したためだ。自治体病院の窮状は、建替えや改修で生じる過大な設備投資にも起因する。診療報酬は厳しく規制されており、医業収入を超えた過剰投資を行った場合、回収するのは困難だ。さらにコスト削減のしわ寄せが医師の処遇に及ぶと離職を招くことにつながり、負のスパイラルを加速させてしまう。

 

こうした事態に自治体病院は方針転換や大な設備投資の見直しで対応している。本稿では、こうした状況下にある自治体病院再建の好例として、香川県三豊市立永康病院の建替え等について、同市の山下市長、建替えが進む永康病院の潟中病院長と清水看護部長にインタビューした。

病院再建と健康まちづくりについて山下市長へのインタビュー

山下市長は民間企業のご出身と伺っています。民間の視点から行政の組織や経営はどのように映ったのでしょうか?

 私はテレビ放送局の株式会社瀬戸内海放送に約20年間勤務しました。報道分野で取材を統括する部署で長く勤め、編成部、つまりテレビのタイムスケジュールを組む仕事にも携わりました。この仕事は、日々1分1秒を争う時間との闘いでした。

 

行政はその正反対で、年度主義を強く感じました。仕事のスピード感が民間企業とかけ離れているのです。例えば、半年で実行できる政策でもきっちり一年かけてしまう。優秀な職員でさえ、その慣習に引きずられていたのです。就任後は、こうしたギャップを埋めることから始めました。

県議会議員から市長に至る政治信条についてお聞かせください。

 「人が喜ぶことはどういうことなのか」をとことん突き詰めることが私の信条です。政治家の使命は理想を掲げ、人々が求める政策の実現に向けてチャレンジすることだと思います。市長になった今もその思いは変わりません。

父母ヶ浜の砂丘(写真:三豊市観光交流局)
父母ヶ浜の砂丘(写真:三豊市観光交流局)

厳しい財政事情の中、どのような理由で永康病院の建替えを判断されたのでしょうか?

 人の命がかかっているからです。2017年に市長に就任するまでの間、永康病院は置き去りにされていました。耐震設備もなく、震度5にも耐えられないほど施設は老朽化していたのです。不測の事態に人の命を守れない病院はいかがなものかと思いました。また、小児科と周産期科が無いことも問題でした。地方だからこそ、子育て環境をより大事にしなればならないため、これでは若い世代にアピールできません。こうした理由で建替えを決断しました。

建替え予定地や予算措置はどのように決めたのでしょうか?

 財政状況を考えると新たな土地を取得する余裕は無かったため、現在の永康病院の場所または市所有地を有効活用することを検討しました。現在の病院の場所での建替えをイメージしていましたが、他の市所有地に移転する方がコストを抑えることができるという試算が出ました。その上、移転先は幹線道路に面しており、患者や通院者にとって便利になると考えられるため、現在の予定地に決定しました。

 

予算措置については、予算の根拠となる新病院の規模について検討を重ねました。旧病院は199床でしたが、建替えを決めた時点で40床ほど休床しており、そのままの規模を維持することは困難であると考え、政策アドバイザーの伊関氏と採算性を検討し、122床にしました。その規模で「ローコスト・高品質」を実現する上限を40億円に設定したのです。

病院建築は市民の関心が高く政治問題にもなりがちです。議会運営はうまくいったのでしょうか?

 伊関氏のお陰で順調に運びました。三豊市議会は、前市長の頃から病院計画に携わっており、講演を通じて病院建築への理解が深まっていたのです。反対意見はありましたが、最終的に特別委員会を発足し市民の声を反映した結果、新たな病院建設が決まりました。

 

新たな病院建設の可否を検討するにあたり、市長も議員も医療従事者も素人同然です。専門家を招き、まずは「地域医療はどうあるべきか」という共通認識を培うことが大事です。建設ありきで進めてはいけません。

紫雲出山から瀬戸内海を臨む(写真:三豊市観光交流局)
紫雲出山から瀬戸内海を臨む(写真:三豊市観光交流局)

伊関氏についての印象やアドバイスへの評価をお聞かせください。

 豊かな経験と高い専門知識を備えています。我々には反論のしようがないレベルです。困難な問題に対してズバッと解決策を言ってもらうことで助かっています。

 

職場の環境改善では、当事者が言いにくい要望を率先して代弁いただきました。職員の増員では、「病院のスタッフを20人増やして欲しい」と直談判されました。しかし、財政上簡単ではありませんので「これは突き詰めて議論しなければならないな」と覚悟を決めました。また、市長への忖度はありませんので「今度は何を言い出されるのか」と戦々恐々としていました。ある時は柔和、ある時は喧嘩腰の印象です。(笑)

 

結果として、大変評価しています。「なぜこれが必要なのか」、「なぜこれだけの人員が必要なのか」といった担当者が思い至らない部分を引き出してくれるので大変助かっています。ロジックがしっかりしているので皆が納得できる。全室個室のアイデアは我々にはありませんでした。市にとって重要な建設後の病院経営までアドバイスいただいています。

病院建築が進む中、開院に向けて市民へのメッセージをお願いします。

 本市の高齢化率は35パーセントを超え、市民の3人に一人が65歳以上という状況にあり、一番の心配事は市民の皆さまの健康です。かかりつけ医からいきなり総合病院に行くことに不安を覚える市民は多いでしょう。

 

「とりあえず新しい市立病院で診てもらえる」というワンクッションあることが市民の皆さまの安心・安全につながるはずです。新病院では地域に求められる医療を提供していきます。最大の課題である医師の増員については、私自身が大学医局に要請に行っており、医師確保のためにはどこにでも行く覚悟です。

包括的なまちづくりについてお聞きします。三豊市は2020年度「SDGs未来都市」(※)に選定されましたが、SDGsへの思いや進捗状況はいかがでしょうか?

 SDGsの基本理念である「誰一人取り残さない」は私の政治信条そのものです。行政を通じてできるだけ多くの人に豊かさや喜びを感じてもらう政策を実行したいと努力しています。そのためには「当たり前のことが当たり前にある」地域づくりが大切です。地方ではどうしても市民の選択肢が狭くなります。医療では過疎地が存在し、教育では少子化の影響で文化やスポーツの機会が奪われることがあります。「田舎だから仕方がない」という諦めの気持ちがどうしても沸いてしまいます。

 

医療では「市立病院に行けば何とかなる」「必要ならば総合病院に行く」、これが選択肢です。教育では、東京大学大学院松尾研究室、香川高等専門学校、三豊市が連携し、「みとよAI社会推進機構」を設置しています。AIを使いこなせる人材育成が目的で、幼児向け体験会のほか、子どもから大人までを対象としたプログラミング教室を開催しています。

 

みとよAI社会推進機構プログラミング体験会
みとよAI社会推進機構プログラミング体験会

スポーツでは、地元のプロサッカーチームを招聘し、子どもたちへの指導に携わっていただいています。まずは健康と教育を市民の皆さまに惜しみなく提供し、「三豊に生まれてよかった」と思っていただくことが私にとってのSDGsです。

 

地元プロサッカーチームによるサッカーの指導
地元プロサッカーチームによるサッカーの指導

先導的取り組みとしては、「第2次総合計画」(2018年12月策定)に掲げた事業が、すでにSDGsと一致しています。具体的には、IoTを活用した農業、産業振興、観光、人に優しい環境(二酸化炭素削減、海洋プラスチック調査)施策、粟島におけるスマートアイランド構想といった「経済」、「社会」、「環境」の3側面の取り組みです。それらの相乗効果により地方再生につなげてまいります。

地元高校でのスマート農業出前授業
地元高校でのスマート農業出前授業
粟島における海洋環境調査
粟島における海洋環境調査

プロフィール

山下   昭史 (やました  あきし)氏

 

香川県三豊市長

1966年 香川県生まれ

1985年 香川県立丸亀高等学校卒業

1990年 國學院大學経済学部卒業。同年、株式会社瀬戸内海放送入社

2009年 同社退社

2011年 香川県議会議員(初当選)

2015年 香川県議会議員(2期目)

2017年 香川県議会議員を辞職。同年、三豊市長就任

趣 味 ネイチャーアクアリウム

建て替わる永康病院の現場対応について、病院長と看護部長へのインタビュー

地域住民のニーズのもと、どのような新病院を目指しているのでしょうか?

潟中病院長

 隣接する観音寺市と善通寺市にはそれぞれ国立病院や大型総合病院があります。地域医療を考えた際、基幹病院と開業医の中間の位置づけとなる病院が市民にとって必要と考えます。

 

一方、慢性期・回復期中心とは言いつつも、常に軽症の急性期や生活習慣病を診なければなりません。地域包括ケアシステムの中での立ち位置をしっかりと持ち、地域のみなさんに愛される病院づくりを目指しています。

 

清水看護部長

  地域の方が何を求めているのか把握し、市民が「いつでも行きたい」と思える病院にしたいと思います。子どもから高齢者までさまざまな市民が来られて、地域のボランティアの方も積極的に入ってくるような「地域に開かれた病院」でありたいです。そして地域包括ケアシステムに基づいて在宅生活を送っていた方が、「どうしても在宅が困難となったときにはこの病院で最期を迎えてもよい」というイメージを抱いていただけるような病院になっていけたら良いと思います。

患者からはどのような声が寄せられているのでしょうか?

潟中病院長

 大型総合病院に行くのがちょっと大変なので、当院で対応できることは極力して欲しいという希望があります。

 

清水看護部長

 近隣の粟島や志々島で暮らす高齢者の多くが、最後まで島で生活することを願っています。当院は大型総合病院の急性期から在宅をつなぐ位置づけの病院ですので、「しっかりリハビリをして家に帰して欲しい」と言われています。訪問診療や訪問看護を希望する声も多いです。島には救急車が向かえないので、最期を迎える時にはいつでも入院させて欲しいと思われているようです。自宅での看取りを希望する家族もいますが、負担や不安は想像以上です。最近も訪問看護を続けてこられた患者様がおられましたが、最期は当院の特別室に入院していただき家族に見守られながら看取ることができました。

病院再建の主なポイントについてお聞きします。病院によっては「自由に意見が出せる」環境づくりが必要とされています。永康病院の場合はいかがでしょうか?

潟中病院長

 小さな病院で皆が顔見知りなので、過去は特にこれといった取り組みはなかったと思います。病院長に話しやすいのは、私のキャラクターによるものでしょう。あまり頼りになるタイプではないので、「これはなんとかせねばならない」と思って意見を出してくれるようです。(笑)

 

最近の事業はそうした職員からの提案によるものです。例えば訪問看護ステーションは看護師の提案です。私にもその思いはありましたが、実際に声を上げシステムを作ったのは看護師です。訪問診療は勤務医からの提案で、その医師が中心になり開始しました。細かいことは言わず、現場に任せています。

 

清水看護部長

 以前から話しやすい雰囲気はあります。業務については、いわゆる「ホウレンソウ」が徹底されています。全体で共有すべきことは病院長や医師出席のもと、委員会を開いています。逆に、病院長や医師からの指示は速やかに現場に伝わるよう、病棟会を開いたり、申し送りを行い、常に配慮しています。

 

一方で、新しい病院づくりに向け、今までに無かった意見交換の場が生まれています。コンサルタントのファシリテーションで、「どのような医療を提供したいのか」「病棟には何が必要なのか」といった内容をグループディスカッションしました。病院建築では素人ですが、「ここの場所だったらこういうことが必要」と、何度も設計や建設担当者の方々と話し合いを重ねました。恐らく大きな病院だと現場スタッフの意見をここまで聞き入れてはいただけないのではないでしょうか。一人ひとりの意見が重んじられるため、皆が家に持ち帰って一生懸命考えてくれました。

ミーティングの様子
ミーティングの様子

アドバイザーやコンサルタントの貢献についてはいかがでしょうか?

潟中病院長

 病院勤務が長いと「何が足りなくてどうしたらよいのか」に思いが及ばなくなります。その点、伊関氏やコンサルタントの方々は豊富な経験と知識で常に問題意識を持っており、課題と改善策をどんどん指摘いただきました。実際、問題点を改善することでいい方向に向かっていることが実感できています。特に、職員数の充足を市長や行政トップに強く働きかけてくれたことが有難かったです。病院職員は市の職員でもあるため、言い出しにくいのです。

 

清水看護部長

 現場では不足部分に気付いていたのですが、行動を起こせませんでした。そこを強く後押ししてくれたのだと思います。例えば電子カルテは、移転前に早期導入することが決まりました。看護部の業務改善委員会をはじめとする新たな委員会も発足できました。手つかずの各種マニュアルの見直しもゼロから始めることになっています。

 

指摘いただいたすべての内容が「目からウロコ」です。それらを委員長やワーキングのリーダー経由で現場に指示するのですが、「何のためなのかわからない」と質問されることがあります。主要な会議に参加している私たちに比べ、詳細を知らない現場が戸惑うのも無理はありません。コンサルタントから「最初はわからないと思いますが、途中から理解いただけるはずです」と言われていましたが、まさにそのようになりました。今は瓦版でワーキンググループの進捗状況を回覧するようになったため、伝達速度が速まっています。グループ以外の職員にも回覧することで院内の共通理解を深めています。

 

病院建築についてお聞きします。設計、施工者のプロポーザルではどのような点を重視したのでしょうか?

潟中病院長

 伊関氏から「応募してくる企業はどこも一流で問題はないだろうから、『人となり』で選びましょう」と言われました。私としては、自然に伝わってくる思いやりや優しさ、しっかりしていることを重視しました。

 

清水看護部長

 伊関氏のプレゼンテーターへの質問は「人となり」を引き出す内容でした。「設計に関わってどういうときが一番幸せを感じましたか?」という質問に対し、「完成後に訪問した時です。皆の思いが積もった建物を見て、自分たちの仕事が終わったのだと感動しました」と答えたのが印象的でした。「この人だったら詳しい話ができる」、「長期間相談できる関係を維持できる」と思いました。

 

図面を使いながらのやり取りはどのように行ったのでしょうか?

潟中病院長

 我々にもわかりやすいよう、コンストラクションマネージャー(CMR)に病棟や病室の基本形を示してもらい、それを見ながら幹部が意見を出し合いました。外来等の位置や医療機器の配置、医療従事者や患者の動線といった内容です。それらをもとに設計者が面積を配分しました。

 

実施設計に入ってからはミーティングの回数も増え、各部署が何度も集まって設計、施工者と意見交換しました。最初は「こんなことを言ってもよいのか?」、「却下されないか?」とおどおどしていましたが、そのうち「自分たちが使う病院なので言いたいことを言うべき」という態度で臨めるようになりました。

 

「ローコスト・高品質」を実現する上で示されたのが無駄をそぎ落とす設計方針です。「この医療機器を入れるのならこちらの備品は削りましょう」といった議論が結構ありましたが、取捨選択に伴うコスト減が明確だったことが判断材料となりました。建物も無駄なデザインを排除したシンプルなかたちにまとまりました。病床数は199床から122床へと大幅に減らしましたが、医師数が増えない限りベッド数がいくらあっても埋められません。コンパクトにして稼働率を上げることで納得しました。

 

清水看護部長

 新病院での働き方を意識してスタッフステーションの配置や病室のコンセントの位置、水回りを考えました。特に看護師にとって動線を短くすることは大切です。最初は難しかったのですが、設計者に聞きながらイメージできるようにしていきました。

 

無駄のない設計はよいのですが、看護師から収納スペースが少ないとの声が上がりました。特に一般病棟には機材を置く場所が必要です。相談の上、部屋の角や天井付近に収納を設置するなどして工夫しました。

 

トイレも検討を重ねました。すべての個室に設置する予定でしたが、当院には歩くことができない高齢患者が多く入院しています。結局、看護の状況でトイレのある部屋とない部屋を用意することになりました。

 

全室個室の利点は家族とゆっくり過ごせることやベッドを移動する必要がないことです。特に感染症患者が発生したり、入院すると、その度に複数の患者様を移動しなければなりません。新病院では看護師の負担が大幅に軽減されるはずです。

 

潟中病院長

 皆にとって設計に携わるのは初めての体験で最初は戸惑いました。外部協力者の皆さんに相談しながら検討を重ねたことで、「自分たちがどう働きたいのか」、「患者にとって何がよいのか」を考え直すよい機会になったと思います。

季刊誌マーガレット
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現病院の外観
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