中東遠医療圏の統合と再編にはさまざまな関係者が重要な役割を果たしている。キーパーソンの一人である磐田市立総合病院前事務局長の磯部健雄氏(現藤枝市立総合病院・病院アドバイザー)から寄稿いただいた。
寄稿 磯部 健雄氏
本稿では、大勢の中の一人として、私が関わった医療連携と病院改革のあらましを記している。師や同僚、後輩達に思いを馳せつつ筆を進めた。
病院淘汰の危機
2003年、私はそれまでの市行政(産業振興部長)から人事異動により、磐田市立総合病院事務局長に着任した。病院経営や運営には素人だったため、全国自治体病院協議会主催の病院長・事務局長等幹部職員研修をはじめ、各種セミナーや病院経営マネジメント研修等に積極的に参加した。それらを通じて痛切に感じたのが「病院は淘汰の時代に入った」ということだ。当時国は、全国に92万床あった一般病床を約半分の42~50万床程度に削減する目標を示したが、これは医療費の削減はもちろんのこと、医療提供体制及び医療保険制度の改革を意味した。医療法改正を視野に入れた改革は始まっていたのだ。
一般病床削減というスパイラルに「自院も巻き込まれるか否か」が喫緊の課題となった。また、たとえ自院が生き残ったとしても、近隣病院が休止となれば、医療難民の発生や地域医療資源の減少等、影響がドミノ倒し的に波及し、地域医療の崩壊に突き進むことが危惧された。
「病院淘汰」の危機意識を共有していたのが、同じく新任された前病院長の北村宏氏だ。北村氏は着任直前の3月31日の夜までメスを握っていたほどの医療人で、病院経営については私同様素人だった。しかし就任後は経営環境を理解し、院長として成すべきことに邁進し始めた。私は院長室で、時には出張帰りの居酒屋で病院経営や機能分化の必要性について議論を重ねる日々を送るようになる。話の内容は時には哲学、生命起源説、大脳生理学、唯識論等広範な分野にわたった。
シームレスな地域医療連携
2003年の後半からは、さまざまな医療の現場に足を運ぶとともに、淘汰の嵐をどう乗り越えるかに終始した日々を送った。そして、中東遠医療圏の自治体6病院の病院長・事務局長連絡会において「『病院淘汰の時代』をどう乗り越えるのか、圏域医療機関で取組む」ことを提案した。地域で協力して機能分化を進め、急性期部分を残しつつダウンサイジングにより生き残りを図る内容だ。「困った、困った」と嘆いてばかりいるのではなく、前向きに捉えて「地域全体のあるべき姿」をしっかり押さえ、各病院が経営改革に取組むことが圏域住民のためになるという熱い思いを北村宏氏と共に訴えたのだ。
市域については、医療連携を推進するため、部長職の多忙な時間の合間を縫って県西部保健所や各診療所、病院等、関係各方面を訪問した。その中で強調したのは、今までの「病院完結型の医療」から脱し、「地域で完結する医療」へ転換を図ることだった。地域医療を提供側に立つ医療から「患者の治療を中心とした医療サービスの展開」へ意識を変えていくこと、それぞれの病態に応じてそれぞれの医療機能の施設で最善の医療サービスが受けられるようにすることだ。そのためには「シームレスな地域医療連携」を推進した。
多くの課題があったが、何よりも医療圏域内に回復期リハビリテーション病床が無いことに着目し、2008年に「回復期リハビリテーション病床を学ぶ視察研修」を企画した。自治体病院をはじめ民間病院、療養、介護系病院の医師、看護師、リハ療法士等20名超の一行で船橋市立リハビリテーション病院と初台リハビリテーション病院を視察。必要性やノウハウを医療圏内関係者で共有した。結果、数年以内に自治体病院と民間病院で合計340床程を一般病床から回復期リハ病床への転換により整備することができた。こうした転換は収益改善にも結び付いた。一例を示すと、病床利用率70%に満たなかった公立森町病院は、病床転換によって90~95%の利用率となり、売上高も2010年4~5月に過去最高を記録している。
基幹病院の使命と役割
患者側に立った「シームレスな地域医療連携」を進めるための基幹病院の使命と役割は自ずと決まる。磐田市立総合病院、真に地域完結型医療の基幹病院となるべく、当時としては斬新的な中長期的経営計画の策定、病院組織や病院運営システムの見直し、経営体制の変革に取組んだ。
北村氏の指導のもと目指したのは、「マグネットホスピタル」だ。患者にとって医療機能が充実し、安心して医療を受けられると同時に、医師や看護師等の医療人にとって人材育成能力が高く、やりがいがある環境であること等、両者にとって魅力ある病院を意味する。北村氏は「中核医療を担うリーダーとして急性期に特化した病院づくりと率先垂範的な病院改革」を進める中、課題に対してはファクト重視の検討を、解決策に対しては飛び跳ねた発想を求めた。
私にとって役立ったのは、前職での経験だ。市役所企画課では常に新しい課題に挑戦し事業を企画した。例えば1985年の環境庁アメニティタウン計画では、トンボの沼の保全等を通じ、国や県、青年会議所、学術機関、市民との関わりから人脈を構築し知恵を結集させながら課題を克服していった。土台には、「常に気配り・目配りを怠らない」精神を学んだ経験がある。
地域住民と医療に携わる方々への提言
住民の方々には、「おらがまちに急性期病院を」という地域エゴから脱していただきたい。無いものねだりより、現在ある病院を大切にすることが大切だ。医師や看護師が来たくなるような環境づくりをお願いしたい。例えば、新型コロナに見られる医師や看護師に感謝する意思表示だ。無いものを嘆いているより、むしろそれらを超えるものづくり、仕組みづくりに邁進いただきたい。まずは行動をスタートさせてはいかがだろうか。
医療行政に携わる方々には、「急性期~亜急性期~慢性期病院」とそれぞれの医療機関が地域における機能分担、役割を担い合うことを率先いただきたい。可能にするのは長期的・大局的な視点に立った計画策定だ。年次毎にゆっくり着実に整備していくことで可能ならしめる。医療圏域の課題を「見える化」して関係者に示し、各界各層に解決提案を専門家として示し、合意形成を図っていただきたい。病院を取巻く社会矛盾、不条理は必ずいつの時代でも存在するものだ。だからこそ、それを知った責任上、解決する責任がある。自分自身の経験を踏まえ、改革改善に向けたご尽力を願うばかりだ。
最後に、北村氏をはじめご指導を頂いた6病院の病院長や事務局長の皆様、関係者の皆様へ感謝の意を表したい。